せふりの思い

せふりの思い

「せふり幼稚園」はフランスを基調とした建物へ変化しました。

「せふり幼稚園」は新しい一歩を踏み出しました。
本物のフランス瓦、フレンチガーデン、アンドレ・ジャピーの飛行機をモデルとした真っ赤な飛行機の風見を設置します。
「せふり幼稚園」の創設者はフランスの偉大な飛行家アンドレ・ジャピーの出来事でみられる「チャレンジと勇気、そして人間愛」の精神に感銘を受けました。 そして、こどもたちに「せふり幼稚園」から世界への第一歩を踏み出してほしいと考えたのです。

せふり幼稚園

アンドレ・ジャピーと脊振

「夢、希望、そして愛」日本とフランスをつなぐ人間愛

アンドレ・ジャピーはフランスの冒険旅行家で、フランス政府によるパリ―東京間100時間飛行の懸賞競技に挑み、昭和11年(1936年)11月16日パリを飛び立ちました。
11月19日早朝、不安定な気象条件の中をジャピー機は東京へ向かって香港を出発。しかし、飛行は困難を極め、気流に巻き込まれ脊振山頂付近に墜落しました。 遭難を知った地元の人々は捜索隊を編成、懸命に捜索しました。発見したのは偶然炭焼きに来ていた地元の炭焼夫と同行していた村の医師でした。
毛皮を纏い、鉈やかまを持った彼らをみてジャピーは最初野蛮人かと思ったそうです。雑木林の中で動けなくなっていたジャピー氏は、病院に搬送され一命を取りとめました。
当時この出来事は国境を越えた人間愛として大きな話題になりました。
今でも、小さな村に咲いたフランスと日本をつなぐ感動的な出来事として、両国に伝えられています。
脊振山中の墜落現場には石碑が建立されています。

記事 チャレンジと勇気 そして人間愛を現代のこどもたちに伝える脊振

アンドレ・ジャピーはパリ―東京間の途方もない距離の単独飛行を80年も前に決行しました。
すばらしいチャレンジ精神とそして勇気です。
しかし、ゴール寸前強風にあおられ、佐賀県と福岡県にまたがる脊振山に墜落します。
脊振山周辺の人々は国を超え懸命にアンドレ・ジャピー氏を捜索、救出に成功します。
その行動は人が誰しも持つ人間愛であり真の勇気であると言えます。

「せふり幼稚園」ではチャレンジと勇気、そして人間愛を現代のこどもたちにも伝え続けていきたいと思います。
*フランス、ボークール市(ジャピーの故郷)には「セフリ(Séfuri)」の通り名もあり、日本とフランスを繋ぐ尊い架け橋となっています。

学歌